- 元愛玩動物看護師(国家資格所有)で20年間動物病院に勤務した経験上、たくさんの動物の死と関わってきました。
動物の数だけご家族がいて、みなさんの悲しみの現場に何度も立ちあってきました。
泣き崩れる方、ご自身を責める方、体調を崩してしまう方、ご家族を支える方、実感が湧かない方などいろんな方がいらっしゃいました。
そんな方々の気持ちに寄り添ってきた“つもり”でしたが、それが所詮“つもり”だったと実感せざるを得ないことがありました。
愛玩動物看護師として“死”と対峙したとき
ある方のお話です。
何代にも渡ってわんちゃんを連れてきていたAさんのわんちゃんの臨終に立ち会ったとき、気持ちに寄り添っているつもりでしたが、涙は出ませんでした。
Aさんのお話を聞くことに徹し、わんちゃんの思い出話を一緒にしたりしました。
ですが一緒に立ち合っていた看護師BはAさんと一緒に涙を流していました。Aさんはとても嬉しそうでした。
気まずさと居心地の悪さから私は隙を見て不自然なタイミングでその場から逃げるように離れてしまいました。
数年後、私の愛犬が亡くなったすぐあとくらいに、Aさんが来院されたのでそのことを報告しました。
すると
「気持ちがわかったでしょ?」
と言われました。
あたたかい言葉が返ってくると当然のように思っていたところ、そんな言葉が返ってきて「あの時のことを言ってるんだ」とすぐにわかりました。
寄り添っている“つもり”だったのがAさんには丸わかりだったのでしょう。
その後もAさんは一緒に泣いてくれた看護師Bをずっと信頼しているようでした。
一緒に泣くことがプロとして正解なのかどうかはさておき、自身の愛犬の死と対峙したとき初めて、他人の言動に普段の何倍も敏感になってしまうことを痛感しました。
【ペットロス】乗り越え方を考える。
自分の愛犬の死は、仕事で何度も経験した死とは全く別のものでした。
想像以上の喪失感と後悔と淋しさといろんな感情が湧いてきました。
人まかせ(獣医師まかせ)にしてしまったことへの後悔や、獣医師への不信感が生まれたりもしました。
看護師としてもっとできることがあったのではないか。
家族としてどうするのがよかったのか。
いろんなことが頭と心をぐちゃぐちゃにしました。
当時4歳の息子も何ヶ月も泣き続けました。
“私が気持ちを切り替えなければ共倒れになってしまう”
そう思い、考えることを一切辞め、すべてに蓋をしました。
気持ちを切り替える、乗り越える、とは全く違いました。
でも自分自身と家族、生活を守るために私にはそれしかできませんでした。
そしていろんな人を敵視してしまった時期もありました。
愛犬の散歩友だちで、私の勤務先の動物病院に通っていたCさんが興味本位で私の愛犬の死因と最期の状況を病院のスタッフに聞いて回っていると人づてに聞いてからはすべての散歩友だちと接触を絶ちました。
今考えるとせっかく愛犬が繋げてくれた仲間なのに…と思ってしまいますが、当時はそれしかできませんでした。
そして看護師として恥ずべきことですが、
“どうしてうちのコは居ないのに他のコは元気なんだ”
と、すべての動物を見るのも嫌になってしまいました。
退職した直接の理由ではありませんが、ペットロスを無理矢理封じ込めてこじらせて、進むべき方向がわからなくなってしまったのも退職するに至った要因の1つではあったのかもしれません。
愛犬を亡くしてから4年が経ちましたが亡くなった日のことを思い返したり、死因の追究などはできていません。蓋をしたままです。
でも楽しかった日々を思い出せるようには少しずつなってきました。
ただ桜の季節になると心がぎゅーっとします。
“元気になって桜を見ようね”
と言ってあと少しで叶わなかったことから桜を数年間見たくありませんでした。
“立ち直るには一緒に過ごした時間だけかかる”と聞いたことがあります。
私はあと13年かかる予定です。
4年経った今でも息子は時々思い出して大泣きします。
“乗り越える”とは何か。
思い出して泣かなくなることでしょうか。
忘れることでしょうか。
新しくペットを迎えようと思えることでしょうか。
そのコの面影を求めなくなることでしょうか。
我が家で、新しく犬を迎え入れる話題があがったとき、私が“亡くしたあのコの面影”を求めていることに気づいた主人からストップがかかりました。
あのコにはもう二度と会えないのに他のコで埋め合わせようとしてもそれは誠実ではないからです。
でもそういう選択が間違ってるということでは決してありません。
個々の価値観の問題です。
我が家はもう少し時間をかける必要がありそうです。
まとめ
ペットを亡くしてしまうことは家族を亡くすということです。
想像以上の喪失感と心の傷が残ります。
それは仕方のないことです。
一人ひとりの乗り越え方、やり過ごし方があると思います。
自分の心に従って日々を送るしかありません。
一緒に過ごした日々を大切な宝物として、ともに生きていけますように。
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